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カテゴリ:文芸(小説・エッセイ・評論)(69/181)

九戸戦始末記 北斗英雄伝 第四巻 : 早坂 昇龍 | BookWay書店





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タイトル: 九戸戦始末記 北斗英雄伝 第四巻

著者: 早坂 昇龍  書店: BookWay書店 

カテゴリー: 文芸(小説・エッセイ・評論)
ページ数: 308
サイズ: B6

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本の要約

天正十九年六月。浄法寺左京亮は、九戸方大湯四郎左衛門のいる鹿角鹿倉館に向かうが、浄法寺軍が館を攻略しに来たと解釈した館兵によって、左京亮一行は狙い撃ちされた。
七月十三日、浄法寺修理は大光寺光親、毛馬内権之助、大湯五平衛と合流し、大湯四郎左衛門のいる鹿倉館を攻めた。包囲軍は数に勝る。波状攻撃を受け、二百名近くいた館兵は半減し、四郎左衛門は鹿倉館を脱出し、宮野城に向かった。
天正十九年八月十八日。上方軍の蒲生先遣隊三千騎が沼宮内口に布陣した。
攻め手の軍大将、蒲生四郎兵衛(郷安)の命により、騎馬兵は山頂の北の主館大手門と、南館下からの二手に分かれ、城内に攻め入るものとした。
三日後の昼前に、沼宮内に堀尾吉晴、石田三成らの軍勢が到着した。
蒲生四郎兵衛は、総勢二万五千を超える勢力となった討伐軍を率い、沼宮内城に総攻撃を掛けた。疾風らの狙いは、敵兵が中に攻め入った時に城を爆破し、損害を与えることである。南郭の爆破は成功し、敵に多大な損害を与えた。しかし、数に勝る蒲生軍は大手門口から攻め入り、権太夫と仙鬼の二人は銃弾に倒れる。城は敵の手に落ちた。
天正十九年八月二十五日。上方先手第一陣の五千兵が一戸城への攻撃を開始した。
いよいよ九戸党の主要な拠点への攻撃が始まった。

著者のプロフィール

「早坂昇龍」は時代劇でのペンネームで、現代劇では「早坂ノボル」を使用している。岩手県盛岡市生まれ。

HP: http://www.goemonto.rexw.jp/

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 天正十九年六月から七月における北奥は、南部方、九戸方の双方により、まさに「獲ったり獲られたり」の情勢となった。緒戦から連戦連敗だった南部信直は、九戸政実と直接交戦することを極力避けた。
 信直は、北郡、鹿角郡など遠方に在する九戸党領主と、二戸宮野城とを分断する作戦に出る。信直は各々の領主を孤立させたうえで、遠方からひとつ一つを攻めるという攻撃方法を取るようになったのだ。この意図は、九戸党を攻め落とすための戦法というより、上方軍が到来するまでの時間稼ぎに重点を置くものであった。このため、九戸党の中核である二戸・九戸周辺だけに限ると、戦は暫し小康状態に入る。
 しかし、その一方で岩手郡や閉伊郡、鹿角郡では、熾烈な戦いが繰り広げられた。六月には、浄法寺左京亮、主膳の二人が、身内である浄法寺修理によって追われる。
 七月には、鹿角郡での九戸党追討作戦が始まり、大光寺光親、浄法寺修理が、大湯鹿倉館を攻撃した。大湯四郎左衛門は館を逃れ出て、宮野城に向かった。
 八月になると、ついに蒲生氏郷、浅野長吉を主力とする上方軍が北奥に到着した。
 蒲生氏郷は伊達政宗による大崎一揆の平定を監視した後、和賀・稗貫を一気に鎮圧し、破竹の勢いで北奥に侵攻した。
 時は八月の終わりで、現代の太陽暦で言えば十月の後半である。騎馬兵を主力として編成した上方征討軍は、北奥の敵を軽んじ、極めて軽装で、十分な兵糧も持たずにこの地に来た。
 このことにより、蒲生氏郷は、討伐軍の一割にも満たぬ九戸軍に散々苦しめられることになるのであった。

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