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カテゴリ:文芸(小説・エッセイ・評論)(120/229)

回遊魚 : 梅田 良方 | 風詠社eBooks





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タイトル: 回遊魚

著者: 梅田 良方  書店: 風詠社eBooks 

カテゴリー: 文芸(小説・エッセイ・評論)
ページ数: 73
サイズ: 128×188

電子書籍 対応機器: pcipadiphoneandroid
形式: ActiBook One
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本の要約

作品は四編だけ。短編・「回遊魚」は言わば習作、右手一本で書いたような、未熟なところや欠陥が様々あるのは作者自身よく承知しているのですが、佳作と評価をしてくれる方もおられるので、あえて公刊する次第であります。
二作目の「誘蛾灯」は千九百枚の長編小説で、私の全精力をつぎ込んだ作品。完成度は高いと自負しています。年齢のせい(比較的若いころ)で、かなり悲劇的な色調の濃いものです。
三作目「梶井途子の手記」は、亡き妻の手記を元にした、セミ・ドキュメンタリー風の中編。途子の残した挿話は、暗い苦痛に満ちたものですが、その周囲に行き交う多くの人間像は、ドーミエのカリカチュールのように滑稽にも思われます。
最後の超大作「黒百合の香り」は四百字詰、四千枚近い作品ですが、物語としては、これが一番面白くて量質ともに代表作なのですが、残念ながら完成度が低く、間違った記述や、辻褄の合わない個所が少なからずあります。残された余命でどれだけのことが出来るか、心もとない次第です。
一つだけ私の作品の取り柄といえば、創作に当って、作品の質そのものが目的になっていて、報酬や賞などはもちろん、タブー、自己規制、忖度、右顧左眄などには一切左右されず、隠された真実の追及と、文学としての面白さのみを唯一の追及目標として書かれてある、ということでしょうか。

著者のプロフィール

一九三二年二月一日 漬物問屋の長男として生まれる。
学歴。旧制日本中学卒。 国粋主義・日本主義の私立学校で、頻繁に教育勅語を聞かされました。教場の雰囲気は軍隊の雛形で、上級生は下級生を、言いがかりをつけて呼び出し、裏庭に連れ出してビンタを食らわせる。これが憂さ晴らしの遊びなのでした。教師は、剣道具が収納してある物置に入り込んで遊んでいた生徒の頭を、木刀で殴った。気丈な級友が泣きもせず、コブだらけになった頭を何度も下げて、「すみません」と繰り返す光景が脳裏に焼きついている。
文学に関しては、何とか賞、かんとか賞などの受賞歴はひとつもなし。その代わりに私が得たものは、父親が商売に失敗して、ヤケ酒に溺れ、酒乱の兆候が出て、家庭の雰囲気が暗黒に落ちたこと、さらに中学卒業と同時に、肺結核を発症、就職もできずに、長期療養生活を余儀なくされたことでした。
父は旅先で病死し、病院への支払いもできず、子供五人を抱えた一家は貧窮の底に落ちた。やむなく母は生活保護の申請に行ったが、もちろんそんなものは受けられず、母は役人に「困っているのはあなた方だけじゃないんですよ!」と嫌味を言われたと言っていました。
その後も、ガンを患ったり下請け仕事の重圧で過労死寸前になったり、若干の幸運と、多くの艱難辛苦。愚行・失敗を重ねた人生だったが、神と悪魔が結託した結果、こんな年齢まで生きることになり、実現しないものと決め込んでいた自作品の出版にまで至ったわけです。
私の生涯にわたる「幸福・幸運」と言えるのは、病気のお蔭でショーペンハウエルやトルストイに出会えたことと、加えて妻となった梶井途子と知り合えたことに尽きる。彼女との出会いの詳細は、中編「梶井途子の手記」に述べられています。


作品は四編だけ。短編・「回遊魚」は言わば習作、右手一本で書いたような、未熟なところや欠陥が様々あるのは作者自身よく承知しているのですが、佳作と評価をしてくれる方もおられるので、あえて公刊する次第であります。
二作目の「誘蛾灯」は千九百枚の長編小説で、私の全精力をつぎ込んだ作品。完成度は高いと自負しています。年齢のせい(比較的若いころ)で、かなり悲劇的な色調の濃いものです。
三作目「梶井途子の手記」は、亡き妻の手記を元にした、セミ・ドキュメンタリー風の中編。途子の残した挿話は、暗い苦痛に満ちたものですが、その周囲に行き交う多くの人間像は、ドーミエのカリカチュールのように滑稽にも思われます。
最後の超大作「黒百合の香り」は四百字詰、四千枚近い作品ですが、物語としては、これが一番面白くて量質ともに代表作なのですが、残念ながら完成度が低く、間違った記述や、辻褄の合わない個所が少なからずあります。残された余命でどれだけのことが出来るか、心もとない次第です。
一つだけ私の作品の取り柄といえば、創作に当って、作品の質そのものが目的になっていて、報酬や賞などはもちろん、タブー、自己規制、忖度、右顧左眄などには一切左右されず、隠された真実の追及と、文学としての面白さのみを唯一の追及目標として書かれてある、ということでしょうか。